紀要論文 ミエル・アグワラ(Myel Agwara)儀礼後の社会変容

田原, 範子

(64)  , pp.195 - 214 , 2017-09-25 , 四天王寺大学
内容記述
西ナイル地域に住むアルル人たちは、地域や家族の長など責任ある人物の死後、死者祈念儀礼ミエル・アグワラ( Myel Agwara )を実施してきた。死者はこの儀礼を経ることで安息を得て、生者を脅かすことはなくなるとされる。アルル人は、元英国保護領のウガンダ共和国(以下、ウガンダ)と元ベルギー統治下のコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)に分割された民族であり、現在、約3 分の2 のアルル人はコンゴに住み、ミエル・アグワラ儀礼は日常的に実施されているという。ところがウガンダ側におけるミエル・アグワラ儀礼の実施は1980 年代が最後である( Tahara, 2012 )。 2009 年8 月、私は故C の親族クランにミエル・アグワラ儀礼の実施を提案し、そのための資金援助を申し出た。故C は、生前、クランのリーダーの後継者としてU、U を助けるべく副リーダーのL を任命していた。そこで、今回の儀礼の準備は、U とL を中心として行われた。儀礼準備のためのG 村の第1 回ミーティング(2011 年2 月6 日)で、私は故C の姉の名前アナ・ニャウヌ( Ana Nyaunu )を授けられ、一族のメンバーとなった。第2 回ミーティング( 2011年8 月13 日)、第3 回ミーティング(2012 年1 月3 日)を経て、2012 年3 月2 日から4 日にかけてミエル・アグワラ儀礼を行った。実際は、友人関係のクランを招待できなかったため、ミエル・アグワラではなく、セレワ(selewa)儀礼の様式による再興であった(Tahara, 2013)。来場者はG 村の住民だけではなく、C のクランや親類縁者などがネビ県の村々やコンゴから集まり、1000 人以上に達した。儀礼終了後、G 村の人びとは口々に「これは始まりに過ぎない。いつか本物のミエル・アグワラ儀礼をするから、見守っていて欲しい」と私に感謝の言葉とともに決意を述べた。 しかしその後、子供と女性の死を契機として、同じ地所に住んでいた親族のあいだに争いがおき、故C の2 人の弟の家族、副リーダーL の家族、L の弟J の家族、計4 つの家族が村を追放された。本稿では、ミエル・アグワラ儀礼の後、この一族内でおきた死とその顛末をめぐる出来事について、関係者たちの証言によって時系列で紹介する1 )。そして、クラン内の葛藤はなにゆえもたらされたのか、それは儀礼の再興と関係しているのかについて考察する。
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