研究報告書 九重沢Ⅲ・平野原Ⅲ・栃洞Ⅲ・新里愛宕裏遺跡発掘調査報告書
くじゅうさわ3・ひらのはら3・とちほら3・にいさとあたごうらいせきはっくつちょうさほうこくしょ
東北横断自動車道路釜石秋田線関連遺跡発掘調査

巴,亜子  ,  小野寺,純也  ,  高橋,義介

(672) 20170317 , 国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所 , 公益財団法人 岩手県文化振興事業団 , 公益財団法人 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
NII書誌ID(NCID):AN10310282
内容記述
九重沢Ⅲ遺跡 標高315m前後の丘陵平坦部から縄文時代中期後葉~後期中葉の竪穴住居跡が5棟、中期中葉の埋設土器が1基、後期を主体とする土坑が8基検出された。竪穴住居跡から土器と共伴して土偶・土鈴・ミニュチュア磨製石斧等の祭祀に関連するものや漁労に使用されたと考えられる土錘が出土している。遺跡は出土遺物から、縄文時代後期前葉頃を中心とした集落跡であることが明らかになった。平野原Ⅲ遺跡 標高400m前後の丘陵斜面から、陥し穴状土坑が17基検出された。開口部の平面形状から細長い溝状のA型、楕円形ないし不整円形のB型、隅丸長方形のC型、不明なD型に分類される。規模は長さ2mを超える大型のものが半数を占めており、分布状況は2基一対で並列して等高線に平行に沿うものが2箇所、直行するものが2箇所で確認された。共伴する遺物の出土がなく時期の詳細は不明であるが、縄文時代に狩場跡として利用されていることが明らかとなった。栃洞Ⅲ遺跡 標高320m前後の南西から北東方向に延びる尾根の平坦部を中心に、縄文時代の竪穴住居跡1棟・土坑48基・陥し穴状土坑17基、中世の墓壙7基が検出された。遺跡は、縄文時代中期後葉~末葉にかけては居住の場として、中期中葉~末葉には食糧貯蔵を目的としたと考えられるフラスコ状土坑が南側斜面に造られ、縄文時代中期末葉~以降に狩場跡として、中世後期~近世初頭にかけ葬送の場として利用していることが明らかとなった。陥し穴状土坑は、細長い溝状のA型(10基)と楕円形ないし不整楕円形のB型(7基)に分類される。中世墓壙の平面形状は、円形、隅丸長方形、隅丸方形、楕円形等があり、棺桶部材の一部を検出している遺構もある。副葬銭に関しては、永楽通宝をはじめとする明銭と北宋銭に特化しており、寛永通宝が共伴しないことが確認された。新里愛宕裏遺跡 標高280m前後の段丘上に立地する縄文時代中期後葉(1棟)と後期中葉~後葉(2棟)の竪穴住居跡を主体とする集落跡であることが明らかとなった。他に古代の竪穴状遺構が1棟確認された。土坑類は55基検出し、内29基(53%)は縄文時代後期中葉頃に位置づけられるフラスコ状土坑で占められている。陥し穴状土坑も10基検出されており、時期の詳細は不明であるが、縄文時代に狩場跡として利用されていることが判明した。
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