研究報告書 富山城跡発掘調査報告書
とやまじょうあとはっくつちょうさほうこくしょ
城址公園整備工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)

古川,知明  ,  野垣,好史  ,  松本,浩一  ,  佐々木,由香  ,  バンダリ,スダルシャン  ,  中村,賢太郎  ,  伊藤,茂  ,  尾嵜,大真  ,  丹生,越子  ,  廣田,正史  ,  山形,秀樹  ,  小林,紘一  ,  Zaur,Lomtatidze  ,  Ineza,Jorjoliani  ,  竹原,弘展  ,  藤根,久  ,  米田,恭子  ,  高橋,敦  ,  田中,義文  ,  千葉,博俊  ,  岩木,雅史

(81) 20160331 , 富山市教育委員会 , 富山市教育委員会埋蔵文化財センター , 有限会社毛野考古学研究所富山支所
NII書誌ID(NCID):BB2119291X
内容記述
(2006年度調査)本丸と二ノ丸を結ぶ土橋の調査である。工事に伴う地表下0.6mまでの遺構状況を確認した。江戸時代は3面の硬化面、明治以降は現代まで3面の硬化面を確認した。硬化面は土橋通路面である。(2007年度調査)本丸東辺土塁の調査である。土塁上部は欠失し下部高さ1.7mが残存していた。中央部は版築による水平堆積とし、中央基底部には乱杭が打たれた可能性がある。斜面部は斜度40°度以下で積み上げている。士塁直下には平安から戦国時代の遺構面が3面確認された。平安時代は9世紀に大きなくぼ地があり、中世期には溝状のくぼ地に大量に炭化穀類や遺物が廃棄された。笄や漆器の存在及び井戸の検出は、至近に武家居館の存在を示唆する。平安から中世のくぼ地では、水環境を利用し水田耕作が行われていた可能性がある。平安時代の地山土は、弥生後期以降発生した洪水の再堆積土である。(2008年度調査)本丸の調査である。16世紀後半~17世紀の下層面と明治期の上層面がある。下層面は、薄い土層を固く盛った整地層や土坑を検出した。整地層は中世富山城期の道路面、建物等の基礎工事、土塁盛土などの可能性がある。遺物は10点の焼塩壺の出土が特筆される。上層面は、石組溝と廃棄士坑がある。廃棄士坑からは、明治32年の大火で焼失した江戸時代の建築物に使われていたとみられる桟瓦・釘・士壁等が出土した。(2010年度調査) 富山城で唯一士塁の高まりが現存する本丸南辺土塁の調査である。土塁の盛土状況や斜面角度が約40°となることを確認したほか、江戸時代から現代までの土塁の変遷が明らかになった。土塁の南北斜面は戦後石積みに改変された際に削平され、幅を減じているが、内部はおおよその基本構造を残していることが確認できた。(2011年度調査) 本丸東辺土塁の東斜面部の調査である。土塁盛土は4群に大別でき、複数回の補修がなされた可能性が高い。隣接する2007年度調査成果とあわせ、本丸東辺土塁の下部断面構造が明らかになった。
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http://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/25960/18996_1_富山城跡発掘調査報告書.pdf

http://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/25961/18996_2_富山城跡発掘調査報告書.pdf

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