紀要論文 エミリ・ディキンスンと日本の花(2-3)
Emily Dickinsn and Japanese Flowers(2-3)
エミリ・ディキンスントニホンノハナ(2-3)

鵜野, ひろ子  ,  Hiroko, UNO

62 ( 2 )  , pp.211 - 228 , 2015-12
NII書誌ID(NCID):AN00085725
内容記述
これまでエミリ・ディキンスンの植物標本帳にある植物とペリーの日本遠征隊が採取した植物に共通にある十四種の植物について検討したが、政治家である父親エドワードが日本遠征を推進していたダニエル・ウェブスターを支持していたこと、1855年1月にそれらがワシントンに届いた直後に詩人が当地を訪れたこと、その直後に自宅に温室を造ったこと等も考慮し、特に七種は日本遠征隊の標本の一部が彼女に譲られた可能性が高いと報告した。2015年3月に再度、HUHにおいて調査した結果、HUHのウォルター・キトレッジ氏の助けで、前回は見つからなかった標本が見つかった。また植物の名前の変更等によって、ディキンスンの標本と日本遠征隊の標本とが同種だとこれまでわからなかった植物も見つかった。その結果、共通の植物は十五種となり、日本遠征隊が採取したものでしかあり得ないと言える植物が九種に増えた。本論文では、その他の修正点を含め、その詳細を報告し、最後に全体の調査結果を纏める。また、実際に日本で植物採取をした二人の隊員のうちの一人、サミュエル・ウィリアムズはアメリカンボードから中国へ派遣されていた宣教師であったので、ディキンスン家とアメリカンボードとの関係について調べた。その結果、1849年には、広東に居たウィリアムズだけでなく、ウェブスターがアメリカンボードの名誉会長であったこと、また詩人の父親が1852年に入会し、1854年には名誉会長であったこと、1855年には、新入会員のリストにエミリを含めディキンスン家の全員と、近い親戚の、計十一名の名前があること、さらに1860年以降、彼ら全員が「名誉会員」であったことが判明した。このように、アメリカンボードとの関係が深かったディキンスン家であれば、1855年にハーバード大学で標本を判定する前にその一部を手に入れることが可能であったと言える。詩人が日本遠征隊の標本を譲り受けた可能性がさらに高まったと言えるのである。
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