紀要論文 九世紀中葉・聖住寺と新羅王京人の西海岸進出 : 張保皐の交易活動の影響と関連して
Temple in the mid-ninth century : In relation to the trade with Chang-Bogo

近藤, 浩一

51pp.365 - 385 , 2018-03 , 京都産業大学
ISSN:0287-9727
NII書誌ID(NCID):AN0006019X
内容記述
 本稿は,韓国西海岸の忠南保寧に位置する聖住寺の創建及び運営の意義について,その立地場所,檀越勢力,財政的基盤,創建年代はもとより,張保皐暗殺など当時の新羅の国内外情勢に注目することにより,王京人との関係を検討内容とする。特には,張保皐暗殺後の847 年に金陽ら王京人が西海岸付近に聖住寺を創建した背景を明確にすることを目的としている。 聖住寺は,侍中金陽を中心として彼のもとに集まった王京人が莫大な費用を納め,檀越となることで創建された。聖住寺は王京人の主導下に運営されたのであるが,その財政的基盤は土地よりも彼等が喜捨した租稲を中心とする動産にあった。ゆえに寺院の運営上,動産の方が富を蓄積するのに都合のよい状況が存在したとみられるが,聖住寺の位置する西海岸地域の地理的環境を考慮すれば,まさに交易活動との関係が想起される。日本古代中世の海域史の研究成果によれば,租稲(米)は交易品,唐物に対する代価の中で重要な品物として利用されていたのであった。 また,聖住寺の創建時期である847 年は,張保皐の暗殺と密接な関連があった。とりわけ聖住寺の創建に尽力した金陽は,張保皐と親交が深いばかりか,彼の暗殺にも直接関与したのである。金陽ら王京人は,張保皐により独占された交易活動(国際交易)を新たに自身の管理下に再編すべく,その活動拠点を確保する意味から西海岸地域に聖住寺を創建したものとみられる。 このように聖住寺の創建は,張保皐暗殺後に促進される王京人の対唐交易を見据えた西海岸進出と表裏の関係にあった。聖住寺の建物の中に栴檀が存在したり,伽藍跡から唐代後期の陶磁器が数多く確認されたりするのに加えて,朗慧無染のような唐情勢に精通した人物が寺院の開祖である点は,聖住寺が対唐交易の拠点であったことを具体的に知らせる。また聖住寺(無染の活動)は,何より海賊勢力の編成に寄与したことが確認されている。したがって王京人が租稲等の家財を聖住寺に喜捨したのも,海賊たちにそれらを再分配することで,彼等を確保して交易活動に従事するためであったと推察される。 こうしたことは,聖住寺がこの地域で担った役割の大きさを物語るが,金陽ら王京人が積極的に関与したとすれば,王京と聖住寺の間に頻繁な交流が存在したものと想定される。つまり聖住寺の創建は,当時の王都慶州と西海岸地域の交通を促進させたのである。
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