Departmental Bulletin Paper 大名家よりの使者と近世京都 : 佐賀藩鍋島家の事例を素材に
The reality of the daimyo’s messenger in Kyoto in the Edo Period : a case of Nabeshima family

笹部, 昌利

21pp.1 - 20 , 2016-03 , 京都産業大学日本文化研究所
ISSN:1341-7207
NCID:AN10537878
Description
本稿は、佐賀藩鍋島家より京都に派遣された使者の事例を素材に、近世の大名家と京都との政治的関係を考察するものである。特に佐賀県立図書館蔵鍋島家文庫に寄託収蔵される「京都御使者一順御記録」を用い、嘉永元年(一八四八)、孝明天皇の女御入内に際する祝儀の使者のありようについて紹介するとともに、政治的な観点から考察を試みた。 論じたのは、まず一つめに、大名家における宮廷社会への「慶事」の対応についてである。嘉永元年段階で、大名自身の上京がおこなえない状況において、大名家臣が大名の意思を代弁する使者として立てられた。予算面については、任命された家臣の個人負担が前提とされ、藩の会計からは「合力」すなわち補助金の形で補填された。任命された諸家においては、任命の栄誉に喜ぶ半面、費用の工面に悩まされることとなった。 二つには、「上京」または「入京」するということが、他の移動を旨とする行動とは大きく意味合いが異なることである。それは、供立ての規模の差異にもあらわれ、かつ、「合力」を求めた納富鍋島家の理由づけに見える、然るべき規模、作法に準じないなら、大名家のプライドに関わるとする意識にも表れる。 三つめに、大名家と縁戚公家との関係についてである。佐賀藩鍋島家の縁戚公家は、久世家と中院家であった。このことが、幕末期の政治構造にどのような影響を及ぼすのかを、今後の展望の意味を込めて、意見を述べた。
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