紀要論文 ヴァーツヤーヤナ、ウッディヨータカラと世親の『唯識二十論』『倶舎論』(下)
Nyaya School’s Critical Examination of Vasubandhu’s Vimsatika Vijnaptimatratasiddhih and Abbidharmakosabhasya : Part II

森山, 清徹

100pp.1 - 27 , 2016-03-01 , 佛教大学仏教学部
ISSN:2185419X
NII書誌ID(NCID):AA12514496
内容記述
先の論考(上)でニヤーヤ学派のヴァーツヤーヤナは世親の『唯識二十論』(Vs)k.12を論難していることを表わした。この(下)ではニヤーヤスートラ(NS)4-2-28から4-2-37に至る注釈(NBh)のなかで唯識無境説を論難しニヤーヤ学説を論じていることを明らかにしようとする。それに加えウッディヨータカラの広注(NV)とにおける論難は終始一貫している。それは外界の対象が存在しない場合、起こり得る問題点の指摘である。世親説Vs k.17cdでは外界の対象は存在しないから夢を見ているときの知と目覚めているときの知とは区別されない。したがって目覚めたときの無知覚(anupalambha, anupalabdhi)は外界の対象の有によって確定し得ない。これは知覚し得る実在に関してその無知覚も成立し得ることをいっているものと考えられる。この意味では、ダルマキールティに先立ってヴァーツヤーヤナは無知覚の確定の理論を提示しているといえよう。また正しい知と誤った知との根拠として普遍(samanya)の実在と生起因(nimitta)とを提示し、これらを認めない唯識派世親にはそれら両知の根拠がなくプラマーナと認識対象とが夢を見ているときの対象のように構想されたものであるということはできないと論難する。さらにウッディヨータカラは心心所同体論批判として唯心論と五蘊論との矛盾を、またVs k.7を取り上げ善不善の業果の不成立及び知識が区別されないことを指摘し広範な論難に及んでいる。
世親
『唯識二十論』
唯識無境
ヴァーツヤーヤナ
ウッディヨータカラ
本文を読む

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0100/BR01000L001.pdf

このアイテムのアクセス数:  回

その他の情報