紀要論文 Two Kinds of Responses to: Why must I learn this?
「なぜ、学習しなければならないのか?」への二種類の回答

ナカザワ, ヨシアキ  ,  Yoshiaki, NAKAZAWA

(67)  , pp.163 - 169 , 2016-03-31 , 創価大学教育学部・教職大学院
ISSN:03855031
NII書誌ID(NCID):AA1238438X
内容記述
 教育哲学研究はどのような役割を果たすべきなのであろうか。筆者は、教育問題\nへの実証的な回答よりもむしろ、規範的な回答を探求するのが教育哲学の果たすべき\n役割であるという立場をとる。実証的な研究では、たとえば、「世界の小学校では、\nどのような教科が教えられているのか」といった問題への回答が、規範的な研究では、\n「小学校では、どのような教科が教えられるべきなのか」という問題への回答が探求\nされることになる。\n 本論文で筆者は、教員が、生徒や学生からしばしば突きつけられる問い――「私は\nなぜ、~を学習しなければならないのですか」――に規範的な回答をおこなうための\n基本的な論点を示したいと思う。\n 「私はなぜ、~を学習しなければならないのですか」という問いには、実際には、\nふたつの意味が含まれている。すなわち、実際的な意味と道徳的な意味である。どち\nらの意味にとるかで、それぞれの教育哲学が要請されることになる。\n 実際的な意味にとると、この問いは、「~を学習することが、自分にとってなんの\n役に立つのか」ということである。生徒や学生は、高等数学、世界史といった、現在\nの自分の生活や関心には何ら関係ないことを学習しなければならない場合に、このよ\nうな問いを発するものである。ルソー、デューイに従うならば、この際に教員は、「将\n来の・・・のために役に立つ」という回答はしてはいけないのである。換言すれば、授\n業において、生徒や学生の現在の生活や関心に有用であるような学習経験を保証しな\nければならないことになる。\n 「私はなぜ、~を学習しなければならないのですか」という問いかけが、道徳的な\n意味でなされた場合、それは、「~を学習することは、自分が、より人生のために、\nどのような意味があるのか」ということである。この問いへの回答には、プラトンの\n哲学が手がかりをあたえてくれよう。\n プラトンによれば、人間は理性を行使する、すなわち、考えることができる唯一の\n生物である。人間は、この理性の行使をつうじて、ついには、自分自身に問いかける――自分はどのように生きるべきか――ようになる。「どのように生きるべきか」とは、\nたんに生きるだけではなく、ほんとうに善く生きることを意味する。探求の人生――\nつねに、「何が、ほんとうに善く生きることなのか」を問い続ける人生――のために\nは学習が必要であり、ここに、学習は、道徳的な意味を持つことになる。プラトン哲\n学を信奉する教師は、生徒や学生が、つねに問い続けることを勧めることになる。
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