紀要論文 認識的モダリティの婉曲用法 : 「ダロウ」はなぜ婉曲用法をもちにくいのか
Epistemic Modals as the Linguistic Means for Hedging : Observations of Daroo in the Sentence Final Positions

蓮沼, 昭子

(26)  , pp.1 - 26 , 2016-03-20 , 創価大学日本語日本文学会
ISSN:09171762
NII書誌ID(NCID):AN10387152
内容記述
「ダロウ」が婉曲用法を有するか否かについて、国会会議録の発話末で使用された「でしょう」の例の観察に基づき分析を行った。その結果、「ダロウ」は、確認要求用法としての使用が圧倒的な割合を占め、中でもその下位の類型である <共通認識の喚起>用法が大半を占めていることが明らかとなった。そして、推量用法、確認要求用法のいずれにおいても、単独で文末の言い切りに用いられた「ダロウ」は、婉曲表現としての用法を有さないとの結論に至った。「ヨウダ・ミタイダ」「カモシレナイ」は文末での婉曲用法をもつが、「ダロウ」がそれをもたない理由は、認識的モダリティの体系における「ダロウ」の特質やその基本的意味・機能を正しく把握することにより説明可能であることを指摘した。
婉曲表現
本文を読む

http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/4555/1/nn26-001y.pdf

このアイテムのアクセス数:  回

その他の情報