学位論文 Characteristics of lipid bilayers evaluated with picosecond time-resolved Raman spectroscopy and picosecond time-resolved fluorescence spectroscopy

野嶋, 優妃

2015-06-10
内容記述
ピコ秒時間分解ラマン分光法と、ピコ秒時間分解けい光分光法を用いて、リポソーム脂質二重膜のエネルギー移動特性を評価した。脂質二重膜のエネルギー移動特性をピコ秒時間分解ラマン分光法によって評価し、脂質二重膜内部の微視的な粘度をピコ秒時間分解けい光分光法によって評価した。生体膜中では光合成やATP合成など数多くの生化学反応が進行する。一般的に、化学反応の速度は極性、粘度、エネルギー移動特性などの周囲の化学的性質の影響を受ける。そのため、生体膜中で進行する生化学反応をより深く理解するためには、生体膜の主な構成要素である脂質二重膜の化学的性質を知る必要がある。本研究では、ピコ秒時間分解ラマン分光法およびピコ秒時間分解けい光分光法を用いて、脂質二重膜内部で進行する現象や化学反応を観測した。得られた結果をもとに、脂質二重膜内部の化学的特性を評価した。第一章では、生体膜のモデル構造、生体膜のモデルとして用いられるリポソーム、脂質二重膜の相について説明している。脂質二重膜は温度の違いによって、ゲル相と液晶相の二つの相を示す。この二つの相では、脂質の炭化水素鎖の立体配座が異なる。ゲル相の脂質二重膜では、脂質の炭化水素鎖はすべてtrans型の立体配座をとる。液晶相の脂質二重膜では、脂質の炭化水素鎖はtrans型とgauche型の両方の立体配座をとる。この立体配座の違いのため、脂質の炭化水素鎖は、ゲル相の脂質二重膜中の方が液晶相の膜中と比べて密に充填されている。脂質二重膜のエネルギー移動特性と、脂質二重膜中の微視的な粘度は相によって違いがあった。第二章では、試料の測定方法およびスペクトルの測定に用いた分光計について説明している。第一節では試料のリポソーム水溶液の調整方法、第二節ではピコ秒時間分解ラマン分光計、第三節ではピコ秒時間分解けい光分光計について述べている。第三章では、ピコ秒時間分解ラマン分光法によるリポソーム脂質二重膜のエネルギー移動特性の評価について述べている。ピコ秒時間分解ラマン分光法を用いてリポソーム脂質二重膜内部に封入したtrans-スチルベンの、最低励起一重項 (S1) 状態の振動冷却過程を観測した。S1 trans-スチルベンのラマンスペクトルでは、分子中央のC=C二重結合伸縮振動に由来するラマンバンドが1570 cm-1に観測される。trans-スチルベンを振動余剰エネルギーと伴に光励起すると、このラマンバンドの位置は時間とともに高波数側にシフトする。このラマンバンドの位置はS1 trans-スチルベンの温度に対応しているため、ピーク位置の時間変化からS1 trans-スチルベンの冷却過程を観測できる。バンド位置の時間変化を単一指数関数で近似することで、S1 trans-スチルベンの冷却速度定数を得ることができる。六種類の脂質二重膜中におけるS1 trans-スチルベンの冷却速度定数を測定した。アルカンやアルコールなどの有機溶媒中では、S1 trans-スチルベンの冷却速度定数と溶媒の熱拡散定数の間には相関がある。熱拡散定数 κ は κ = λ / cρ ( λ: 熱伝導率, c: 比熱, ρ : 密度) で表現される量であり、巨視的な熱拡散の指標である。この既知の相関と、得られた脂質二重膜中におけるS1 trans-スチルベンの冷却速度定数から、脂質二重膜の熱拡散定数を見積もることができる。六種類の脂質二重膜の熱拡散定数をそれぞれ見積もったところ、液晶相の脂質二重膜の熱拡散定数はゲル相の膜の値よりも大きく見積もられた。この結果は、脂質二重膜中のエネルギー移動が脂質二重膜を取り囲む水の影響を受けることを示している。脂質二重膜の熱拡散定数は基礎的で重要な性質である。しかし、これまでに用いられてきた手法では、脂質二重膜の熱拡散定数を測定することはできなかった。ピコ秒時間分解ラマン分光法とtrans-スチルベンを用いることで、初めて脂質二重膜の熱拡散定数を実験的に見積もることができた。第四章では、ピコ秒時間分解けい光分光法によるリポソーム脂質二重膜内部の微視的な粘度の見積もりについて述べている。リポソーム脂質二重膜中にtrans-スチルベンを封入し、そのけい光寿命を測定した。得られたけい光寿命から、trans-スチルベンの光異性化反応速度定数を算出した。trans-スチルベンの光異性化反応速度定数と溶媒の粘度の間にはアルカン溶液中において相関があることが報告されている。光異性化反応速度定数と溶媒の粘度の間の既知の相関を用いて、六種類の脂質二重膜内部の微視的な粘度を見積もった。その結果、六種類の脂質二重膜すべてにおいて、内部に微視的な粘度が異なる二種類の溶媒和環境が観測された。一方の環境の微視的な粘度の値は、もう一方の環境の値の30倍から290倍大きく見積もられた。脂質二重膜内部におけるtrans-スチルベンの回転緩和時間を測定し、得られた値からも膜内部の微視的な粘度を見積もった。その見積もりの結果は、光異性化反応速度定数の見積もりの結果を支持した。これまで、一種類の脂質からなる二重膜は均一な構造をとると考えられてきた。しかし、今回得られた結果から、一種類の脂質からなる脂質二重膜も、微視的な粘度が異なる複数の環境から成る不均一な構造を取りうることがわかった。第五章では、ピレンでラベルしたリン脂質を用いた、脂質二重膜中のある一定の深さにおける微視的な粘度の見積もりについて述べている。炭化水素鎖の一方にピレニル基を持つリン脂質と、dimyristoylphosphatydilcholine (DMPC) というリン脂質を用いてリポソームを作製し、ピレニル基に由来するけい光減衰曲線をピコ秒時間分解けい光分光計を用いて測定した。けい光減衰曲線の偏光測定の結果を用いて、ピレニル基のけい光異方性減衰曲線を算出した。膜中におけるピレニル基の深さは固定されているので、けい光異方性減衰曲線は一つの減衰成分しか持たないと予想された。しかし、得られたけい光異方性減衰曲線は、速い減衰と遅い減衰の二成分を持っていた。これは脂質二重膜内部に二種類の溶媒和環境があることを示す。けい光異方性減衰曲線の遅い減衰から求められる回転緩和時間を用いて、液晶相とゲル相の脂質二重膜内部の微視的な粘度を見積もった。液晶相とゲル相とで、見積もられた脂質二重膜内部の微視的な粘度に違いがみられた。生体膜を構成する脂質二重膜の基礎的な性質を知ることは、生化学反応についてより深く理解する上で重要である。生体膜中で進行する生化学反応は、実験室で行う化学反応よりずっと効率よく進行する。高速時間分解分光法によって得られた脂質二重膜に関する知見は、生化学反応が効率よく進行する理由を知るための手掛かりになるだろう。ピコ秒時間分解ラマン分光法や、ピコ秒時間分解けい光分光法などの高速時間分解分光法を用いて脂質二重膜の特性を評価した例は、まだ限られている。本研究は、脂質を系統的に変化させたときの性質の違いを、高速時間分解分光法により調べた数少ない例の一つである。また、脂質二重膜のエネルギー移動特性を実験的に評価したのは、学位申請者の知る限りにおいて本研究が初めてである。高速時間分解分光法を脂質二重膜の特性の評価に適用することで、従来の方法では知ることができなかった、脂質二重膜に関する新たな知見を得ることができた。
2015-03-31
甲第245号
博士
理学
学習院大学大学院
392
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