学位論文 第一次世界大戦後における日本の会議外交の形成 : ヤップ島問題を事例として

長谷川, 朋子

2015-06-10
内容記述
本論文は、第一次世界大戦後における会議外交という国際的潮流に日本がどのように対応していったのかについて、<国家間交渉><政府内政治><国民世論>の相互関連に注目しながら分析することにより、日本の会議外交形成過程を実証的に明らかにするものである。それまで欧州を中心に展開されていた会議外交は、第一次世界大戦後、世界的な外交様式へと発展し、五大国の一員となった日本もそれを習得することが求められた。そして、周知のとおり、第一次世界大戦を契機として秘密外交が糾弾され、公開外交の必要性が論じられるようになる。それはいわば「外交の民主化」であった。日本もまた会議外交という外交様式を習得し、公開外交を実践していくことになったのである。これまでの戦間期日本外交に関する研究は、ワシントン体制や、幣原外交と田中外交、といた枠組みの中で論じられてきた。前者は、ワシントン会議(一九二一年~二二年)で成立した東アジア・太平洋地域の国際秩序体制であるワシントン体制が当時の日本外交を規定していたという前提から分析を行うものである。後者は、外務大臣の思想や個性に焦点を絞って日本外交を分析するものであり、一般的に、幣原外交を協調的、田中外交を強硬的であると捉えてきた。本論文はこれらの研究を否定するものではない。しかし、ワシントン体制という地域限定的な枠組みや、外務大臣個人に焦点を絞るアプローチでは、日本外交の全体像を把握するには十分ではないと考える。会議外交を構成する要素である<国家間交渉>、<政府内政治>そして<国民世論>がどのように関連しながら日本は外交政策を決定していったのかを明らかにすること、これが本論文の基本的な視角となる。このような分析視角から、本論文はヤップ島問題を検討する。ヤップ島問題とは、大戦後に発生した、南太平洋に位置する旧ドイツ領ヤップ島の統治と、ヤップ島から敷設された海底電線(旧ドイツ太平洋電線)の処分を巡る日米対立である。従来の研究では、ヤップ島問題は専ら日米二国間の問題として扱われてきたといえる。そこでは、問題発生の要因を軍事的もしくは経済的なものと捉えるべきか、また、その結果はどちらの国にとって有利であったのかという点に注目して論じられてきた。本論文は、日本がヤップ島問題を日米二国間の問題ではなく、戦勝国であったイギリス、フランス及びイタリアも含む多国間の問題であると捉えていたという視点から分析を行う。旧ドイツ太平洋電線問題を巡って日米が対立するのと同時に、大西洋に敷設されたドイツの海底電線(旧ドイツ大西洋電線)の処分に関しても、米英仏伊は対立していた。そして、旧ドイツ太平洋電線と旧ドイツ大西洋電線は、旧ドイツ海底電線問題として国際通信予備会議(予備会議)で日英米仏伊の五大国によって討議されることになった。すなわち、ヤップ島問題は日米二国間ではなく、イギリス、フランス及びイタリアを含む複数国が関係する問題なのであった。そのため、本来ヤップ島問題は、日米二国間のみならず、多国間の問題であると日本が捉えていたという視点から分析されるべきものなのである。以上をふまえて、本論文では各章において次のように分析を行った。第一章では、太平洋海底電線を事例として、同時代の世界における海底電線の重要性を明らかにした。一九世紀半ば以降、イギリスをはじめとする欧州列強は、海底電線の軍事的及び経済的利点に着目し、その敷設を競い合っていた。しかし、明治維新によって近代化に着手しはじめた日本は、資金と技術不足により、国際海底電線の敷設を外国企業に依存せざるをえなかった。そして、日清戦争以降、インフラ整備と軍備拡大という国内政策を背景とし、北米大陸と日本を直接結ぶ太平洋海底電線敷設の気運が高まる。この海底電線は、日本が独占契約を締結していた大北電信会社に依存することなく敷設できる路線であった。また、日本からアメリカへの電信は欧州経由であったため、とりわけ実業界から敷設を望む声が強かった。こうして、一九〇六年に日本はアメリカとの直通海底電線を敷設するに至ったのである。その後、太平洋海底電線における通信量は増大し、二〇世紀に入ると、海底電線の重要性はさらに高まっていった。第二章から第五章では、旧ドイツ海底電線問題を巡る日本の政策決定過程を明らかにした。第二章では、日本が旧ドイツ太平洋電線と赤道以北ドイツ領南洋諸島を統治するに至る過程と、大戦後における旧ドイツ海底電線の処分を巡る、アメリカと日英仏の対立を考察した。イギリスの依頼で参戦した日本は、南進により赤道以北のドイツ領南洋諸島と旧ドイツ太平洋電線を支配下においた。そして、大戦後もそれを継続できるようイギリス及びフランスから保障を取り付けていた。大戦後、アメリカはこれを秘密外交であるとして承認しなかった。また、大戦中に押収した旧ドイツ海底電線を「戦利品」と主張する日英仏と、それに反発するアメリカが対立した。結局、予備会議を開催し、そこで問題を協議することになる。第三章では、ヤップ島を巡る日米対立を論じた。パリ講和会議開催中、アメリカは終始日本のヤップ島委任統治に対し留保を行い、これに反対していた。アメリカが、旧ドイツ太平洋電線の商業的価値とヤップ島の軍事的重要性を認識していたためである。しかし、一九一九年五月七日に開かれた英米仏による会議で旧ドイツ領の処分が決定された際、アメリカがヤップ島への留保を明言しなかった。そのため、後にこれが日米間で争点となる。アメリカは、関係国はアメリカの留保を認識していたと主張し、日本はアメリカの留保は無効であると反論したのである。日本とアメリカは、この問題でその後も対立していくことになる。第四章と第五章では、日本を中心としながら、予備会議での旧ドイツ海底電線問題を巡る各国の外交交渉を明らかにした。第四章は、予備会議開催から一時休止に至るまでの期間を取扱い、第五章では予備会議開催後の経緯をたどった。予備会議は、現状維持を望む<日英仏>と、これに異議を唱える<米伊>が対立する状況から開始された。そして、日本は、英仏との協調維持、そして英米仏間の斡旋役を果たすという二つの戦略で外交交渉を進めようとした。前者については、日本の望むような協力を英仏から得られず、また、会議の進展に伴って、英仏関係が悪化したため、その実現は困難であった。後者については、米仏間の対立が深刻であったため、その役割を満足に果たすことはできなかった。このような外交交渉を展開するなか、日本政府と交渉担当者である駐米幣原喜重郎大使は、対米妥協案を形成していった。両者は緊密に連絡を取り合い、会議の進展に合わせながら問題解決を図ろうとした。<国家間交渉>と<政府内政治>の関係は良好に機能していたといえる。しかし、<国民世論>が会議の進展を妨害する。アメリカ国内での新聞報道が関係国の不信感を招いたのである。幣原大使もこれを「プロパガンダ」と捉えていた。そして、予備会議は一時休止に至ることになった。予備会議が再開されると、各問題は関係国のみで交渉することが決定され、問題解決に向けた日米交渉が本格化する。アメリカでの新聞報道は過熱し、日本政府は反対宣伝という対応策を検討するようになる。また、日本でもヤップ島問題に関する新聞報道が増加していき、日本政府のみならずアメリカもこれを注視していた。国内外の世論だけでなく、英仏態度の軟化も日本の政策決定に影響を及ぼした。アメリカからの経済援助を頼みとする英仏は、問題の長期化による対米関係の悪化を懸念するようになったのである。そして、日本は従来の方針からアメリカに譲歩する形で妥協案を作成し、日米間で協定が締結され、ヤップ島問題はついに解決するに至った。第六章では、「日米協定」成立後の旧ドイツ海底電線問題について明らかにした。従来の研究では、「日米協定」締結をもって問題解決とされてきた。しかし、旧ドイツ大西洋電線問題が解決していないことを理由に、イタリアが承認を留保したため、正式には問題解決と見なされていなかったのである。その後協議が行われたものの、結局、旧ドイツ海底電線処分問題は正式に解決することはなかった。しかし、大戦後、大西洋における海底電線の重要性は高まったため、その敷設を巡る欧米列強の競争は続けられた。以上の考察から導き出された結論は次の通りである。予備会議では、<国家間交渉>と<政府内政治>間の連絡が緊密に行われ、両者の関係は良好に機能していたものの、<国民世論>が外交交渉における障害となった。そのため、日本政府と交渉担当者は、外交交渉において<国民世論>にも対応することが必要となり、日本は会議外交を習得しなければならなくなった。旧ドイツ太平洋電線問題は、日本の譲歩により解決した。「日米協定」成立に至るまで、日本政府は、交渉担当者である駐米幣原大使からの報告に基づきながら会議の状況を把握し、政策を決定していった。そして、幣原大使も、交渉当事者として状況分析を行いながら、問題解決に向けた提案を政府へ行っていた。だが、日米両国での<国民世論>が障害となった。過熱する<国民世論>が外交交渉に影響を与えるなか、政府はこれを鎮静化させるための有効な手段をもっておらず、対応に苦慮した。第一次大戦後の世界では、<国民世論>が外交交渉を左右する時代となり、日本は会議外交という新たな外交様式を習得していかなければならなかった。ヤップ島問題は、日本が会議外交を実践する初めての外交問題だったのである。
本文を読む

http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/3683/1/abstract_K251.pdf

http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/3683/2/ref_abstract_K251.pdf

このアイテムのアクセス数:  回

その他の情報