Departmental Bulletin Paper 「物語」の重さ、「心」のために―安房直子『きつねの窓』・太宰治『走れメロス』を例にして―
Weight of “the Story”, for “the Heart”: AWA Naoko’s “the Window of Fox ” and DAZAI Osamu’s “Run, Melos ” as Examples

田中, 実  ,  TANAKA, Minoru

(81)  , pp.37 - 55 , 2015-03-20 , 都留文科大学
ISSN:0286-3774
NCID:AN00149431
Description
本稿は拙稿「〈全体〉の構築」(『日本文学』第62巻第8号二〇一三・八 2-12頁)、同じく拙稿「続〈主体〉の構築―魯迅の『故郷』再々論―」(『国語教育思想研究第八号』二〇一四・五広島大学教養学部難波博孝研究室19-30頁)及び「世界像の転換、〈近代小説〉を読むために―続々〈主体〉の構築―」(『日本文学』第63巻第8号二〇一四・八 2-14頁)のさらに続稿、言わばその実践編である。現在、文学作品が読まれるためには、ポスト・ポストモダンの世界観認識、〈第三項・語り〉論が要請されなければならない。『きつねの窓』と『走れメロス』の双方は、共に「物語」を語る〈語り手〉自身が己の語る物語の重さを捉えることができず、しかも、そのことに自意識を持てずにいる。すなわち、文学研究でも文学教育でもこの作品の基本的な〈語り手〉と語られている出来事との相関に問題があると言わざるを得ない。それはもともと「物語」とか「小説」とか、その根源的なことが考えられてこなかったからだ。物語とは因果関係を取ることだが、その「因」と「果」との相関の必然性、すなわちメタプロットが捉えられていないまま語り手は語り終わっている。そのため、「心」を見失っていることを浮上させている。文学作品を読む制度がそれを失わせているのである。それは〈他者〉の問題の欠落に外ならない。末尾にはハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳新装版一九九四・二みすず書房)を対比させた。
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http://trail.tsuru.ac.jp/dspace/bitstream/trair/695/1/T-081037.pdf

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