Departmental Bulletin Paper 学びのセマンティクス,あるいは生存のエステティクス

広川, 義哲

(3)  , pp.16 - 31 , 2016-03-15 , 龍谷大学教職センター
ISSN:21884374
Description
労働市場へと諸個人たちを分配していく機能を果たす学校において,柔軟に,かつ迅速に変動しつつある労働市場で生き抜いてゆくための「雇用されうる能力」が養成されるべきひとつの能力となる今日的な状況にあって,生徒たちにとっての学びの意味とは何だろうか。コジェーヴの欲望論は,欲望の交錯によって社会が構成されることを説明し,ラカンは欲望と言語活動との構造的な関係を説明する。すなわち,「私の存在」を承認するであろう他者たちへ向けて,「私」は「私の望み」を表出する。他方で,ヘーゲルの『精神現象学』の「主人と奴隷」の一節は,脱身体化された欲望として振舞う主人とひとつの道具的身体として振舞う奴隷の間の承認をめぐる闘争論だったが,それにたいするバトラーの読解は,主体がみずからの存立の初発段階においてすでに外在的な規範を受領することを示唆している。「私の存立」を欲望しながらも,生徒の側からは統御することのできない教師の評価の視線を内面化し,他者たちからの承認獲得を実践する生徒たちの存在様式と,柔軟な労働市場への的確な適応を実践するポストフォーディズム型の労働者の存在様式が同期するならば,生徒たちは,環境の変動に応じてつねに生成変化せねばならない者として,すなわち,「いまだ存在していない者」としての脆弱性を織り込んだままで生存の美学としての「自己の練り上げ」を実践していくだろう。
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