Departmental Bulletin Paper 教師というペルソナ

広川, 義哲

(2)  , pp.21 - 38 , 2015-03-15 , 龍谷大学教職センター
ISSN:21884374
Description
ひとつの労働としての教職を遂行していくなかで要請される作法とは何か。あるいは,教師はどのような役割をみずからの身に帯びてゆくのか。ミードは,相互行為において他者たちが期待し,そして要請する役割を「me」として,それにたいする「私」の応答を「I」として,「私の生成」を説明した。「私」の果たすべき役割が他者たちの顔や表情,そして身振りなどから読み取られ,「私」の行動の行方が決定される。また,ハートやホックシールドによれば,サービス産業に従事する労働者たちは,満足感,あるいは興奮や情熱といった顧客の内面に向かう。商品と貨幣の交換という冷めた関係ではなく,顧客の特定の感情を生産するために,労働者たちは,たとえば笑顔を浮かべ,親密さを装うといった作法を労働管理の対象として要請される。感情労働として定式化されるこうした作法は,教職においてもひとつの職業倫理として要求されているが,同時に,感情労働に従事する労働者たちの困難な情況も報告されている。けれども,生徒たちとの教育的な関わりを遂行する教職という労働を,仮面を被りつづけることによる自己の喪失を招く事態としてではなく,相互行為のなかに埋め込まれている「私」の存立と理解できるのだとすれば,生徒たちとの関わりのなかでこそ,教師の存在論的な確証が得られるのではないか。
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