Departmental Bulletin Paper ラカンと禅仏教 絶対無としての現実界の言語化
Lacan and Zen Buddhism : The verbalization of the Real as Absolute Nothingness

西村, 則昭  ,  Nishimura, Noriaki

14pp.1 - 14 , 2016-03-31 , 仁愛大学
ISSN:2185335521853355
NCID:AA12479646
Description
ラカンと禅は,言葉への根本的な問いをもつ点で共通性がある.本稿は,禅における見けん性しょうを絶対無の体験として捉えた上で,ラカンの考え方を用いて,絶対無としての現実界が言語化され自覚されるとき,そこにどのような論理が見出されうるかを,次のように考察した.言葉は現実界を切り取る(限定する,分節する)機能を果たすが,切り取った瞬間,それは意味(シニフィエ)を喚起するもの(シニフィアン)となり,物自体は失われる.しかし禅者は,その切り取る瞬間を捉え,物自体を見ることができる.その瞬間の論理が,即非の論理(鈴木大拙,1941,1950)である.シニフィアンを使用した言語活動は,シニフィエ(意味,イメージ)への執着によって,シニフィエの実体化をもたらす.絶対無は,そのような言語活動を否定するはたらきであると共に,そのはたらきによってあらわになる現実界である.そして本来的自己(真の自己)は,そのような絶対無のはたらきにおいてはじめて見出される,と考えられた.
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