紀要論文 殷代青銅武器とその銘文 : 字体・字形からの検討
Bronze Weapons and its Inscription in the Yin Period : A Consideration of its Form and Standard

鈴木, 舞

29pp.105 - 119 , 2015-03-29 , 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室 , The Department of Archaeology Faculty of Letters, The University of Tokyo
ISSN:18803784
NII書誌ID(NCID):AA11190220
内容記述
殷周青銅器銘文に関する研究では、従来その関心の中心は成文銘をもつ西周青銅容器にある。本稿では、これまで余り顧みられることのなかった殷代武器銘を対象に、その生産に関する考察を行った。 筆者は、これまでに行った検討の中で、殷墟花東54 号墓出土青銅器群に見られる「長」銘の字体が、器物の用途・器種・器形・紋様によって異なり、その中でも特に武器とその銘文の製作については、字体の選択・装飾性・施紋技法との共通性から、鋳型製作時に紋様を施した者によって行われた可能性のあることを指摘した。本稿は、上記の結果が、当該青銅器群に特有の現象であるのか、それとも殷墟期を通じた現象であるのかを検証すべく、それ以外の有銘青銅武器についても集成・検討を試みたものである。その結果、同銘青銅武器群およびその銘文では、器物そのものの形態・紋様に加え、銘文の字形・字体に統一性の見られることから、これらの各要素の定められたモデルに基づいて量産された可能性を考えた。群を成さない武器の銘文もまた、しばしば鏡文字が使用されて一個体内で同一字形の繰り返しや線対称の意識が見られること、銘文・紋様間において鋳型上での線の幅や彫りこみ方に共通点が見られること、銘文・紋様ともに緑松石の象嵌が見られることなどの特徴が見られた。これらは皆、容器銘には見られない特徴である。なおかつ、これらの特徴が殷墟3 ~ 4 期の武器銘に偏って見られたことから、前稿で明らかになった殷墟2 期末における武器生産のあり方が殷墟後半期にも引き継がれたと考えた。 本稿は東京大学文学部列品室所蔵「青銅製容器破片」(登録番号c118)の資料紹介も兼ねている。本遺物は収蔵以来「青銅製容器破片」とされてきたが、実際には青銅製銎式戈の内部分の破片であること、また内の両面には紋様と「亜娃」銘を持つことが分かった。また、各種金文著録に掲載された類似資料と比較検討した結果、当該遺物が1940年前後に安陽で出土した複数点の銅戈のうちのひとつである可能性が指摘できた。
到现在为止,很多学者对商周青铜器特别是容器的铭文有过深入的研究。虽然学术界一般称之为“ 商周青铜器铭文”,但是研究对象却主要集中在西周青铜器铭文,进而根据铭文内容来复原当时的历史。这是因为自商代晚期出现族徽后,到了商代末期才出现长文铭,西周时期得以继承和发展。同时,学界研究铭文字形时,其主要研究对象仍然集中在西周青铜器铭文。在这样的学术背景下,本文以学界容易忽视的商代青铜兵器与其铭文为主要研究对象来探讨其生产方式。  笔者曾经对殷墟花东M54 出土青铜容器与兵器的铭文“ 长” 字进行过字体研究,发现了当时按照器物本身的用途、器类、器形、纹饰来选择“ 长” 字的各种字体。笔者以此现象为线索推测了在殷墟二期时,工匠们在作坊里制作该青铜器群时,容器与兵器是分开制作的。在花东M54 出土的兵器制造上还有如下三个特点:一是铭文的字形。在一件器物上往往有两个同铭,而且这两个同铭往往采用同一字形或采用反转文字。一般来说,容器上的同铭只见于器身和器盖。而且有些学者曾经提出过,殷墟出土的同铭铜器,无论是同一器物器身和器盖的同铭,还是不同器物的同铭,铭文的字形或间架结构都不完全相同; 二是铭文和纹饰的类似性。兵器铭文有采用绘画性较强或比较简单的字体的倾向,它在制作技术上和纹饰类似,都镶嵌绿松石。根据这些现象,笔者指出了由施纹者担任铭文制造的可能性。从这个方面来看,兵器铭文则完全异于容器铭文。三是兵器的生产方式。本文比较同一器形的几件兵器就发现它们不仅形状、尺寸、纹饰相同,而且铭文字形也基本上相同。当时的人们可能会在制造兵器时模仿一件模型来批量生产几件兵器群。如上三个特点都与容器生产方式不同。因而可以得出如下结论:花东M54 出土青铜器群,兵器和容器是分开制造的。  本文为了验证如上的生产方式是否是花东M54 出土青铜器所独有还是整个殷墟时期都能看到的现象,故收集了除该墓以外的商代兵器铭文材料来进行探讨。若是特例,如上现象只不过反映了花东M54 青铜器群的生产方式。可是,若是普遍现象,则涉及到晚商青铜器的生产方式这样的重大问题。  通过如上的探讨,笔者推测同铭青铜兵器群与其铭文一般都按照器物本身的形状、纹饰、铭文字形批量生产,并且从铭文生产方式来看,兵器与容器的生产方式是不同的。另外,除了各同铭青铜兵器群以外,在单独制造的有铭铜戈的同铭上也可以看到反转文字和完全相同的字形;铭文与纹饰的制造痕迹也有类似性;在铭文与纹饰上都镶嵌绿松石等现象。而且,这些铜戈基本上集中出现于殷墟三、四期。通过以上研究,本文最后指出了分开制造容器与兵器这样的生产方式承续到殷墟后期。  本文兼对东京大学文学部陈列室收藏的“ 青铜制容器破片”(编号为c118)作简要介绍。该遗物收藏以来登记为“ 青铜制容器破片” 这个遗物名称,可是通过本次的整理工作发现它并不是容器残片而是銎式内戈的残片,也发现了在其内的两面上都有纹饰与“ 亚娃” 两个字。同时,通过各种金文著录收集的相关资料可以看出该铜戈残片可能是一九四〇年前后从安阳的某个单位出土的十几件铜戈之一。
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