紀要論文 黄庭堅の文に記された閑居について
A Study of the Still Lives in the Proses of Huang Tingjian

湯浅, 陽子  ,  YUASA, Yoko

内容記述
北宋の蘇軾の門人として、「四學士」の一人に数えられている黄庭堅の詩文についてのより広い視野での検討の一環として、散文に記された閑居に関わる意識について検討する。北宋仁宗期以降に閑居に関わる文章を残した人々のうちの多くを、守旧派である旧法党に関わりの深い人物が占めているが、彼らと長く深い交流を持つ黄庭堅には彼らの発想をよく知り、それになじむ機会が多分にあったと想像され、黄庭堅の閑居についての発想は基本的に彼らと共通している。また、「文會」「文酒之會」等と表現される、文化的に洗練された「樂」の共有の楽しみは、『論語』の「以文會友」以降、南朝の貴族たち、初唐の宮廷詩人、中唐期の科挙出身の文人たちを経て、北宋の文人たちまで継承されており、彼らの文化の継承者、つまり知識人としての高踏的な気分や矜持を反映するものであったと考えることができるが、黄庭堅が書簡のなかで言及するこのような「樂」は、すべて他人の状態を想像したもの、あるいはそれを勧めたものであり、彼自身の状態ではなく、彼自身については、文人の伝統からの疎外を感じている。黄庭堅が自らの閑居について記している資料のうちの多くは、彼の人生の後半にあたる哲宗紹聖年間以降の流謫期に書かれた書簡で占められている。それらのなかで彼は世間から、また人とのつきあいから逃れることを志向すし、また流謫地の文化的水準の低さ嘆きつつ、若い人達がこれを克服する方法として、より多くの友人達との繋がりとともに行う学問、つまり、文人達の洗練された知的文化の伝統である所謂「文會」をイメージしている。黄庭堅は、比較的早い時期から、彼の周囲にいる不遇な人物が閑居において修養や学問に邁進することを称賛している。黄庭堅の周囲のみならず、当時の士大夫層のなかに、不遇な人生を余儀なくされる人が数多く存在していたからこそ、このような立場にある人の、学問や修養に励んだ、あるいは後輩を育成した等の儒教の倫理のなかで評価できる点が強調されるのである。黄庭堅のこれらの文章は、官僚として成功できずに閑居を余儀なくされた場合に、その状態をどのように正当化するのかについて検討するものであり、そこからは、彼らの活動した時代において、閑居をめぐる状況と気分が変化しつつあったことをとらえることができる。後年の流謫生活を余儀なくされた黄庭堅が感じる孤立感もまた、このような変化を背景としている。
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